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アナログの世界は<世界>の触り方を教えてくれる。
デジタルの世界は<世界>に触らない。計測する。 だからこの2つの世界は等位にあるのではない。 種が違う。かかえている領域が違うのだ。 アナログの見方は人間の感覚に触れてることで「私=人間」を発見するが、 デジタルは、人間の感覚の外に虚像として成立する。 「数字でものを測る」ことへの信仰の結果として「フクシマ」が出現した。
人のふつうの感覚に戻して判断する必要がある。 我田引水の為にケイヤクやら先例やら<常識>が数字を挙げて動員される。 数字(への信仰)は、だれも否定できないはずだという思考停止の上に様々な不合理が生じる。数字は、ひとつの選択されるべき準拠(枠)ということを忘れているのだ。 最近の政府の様々な「断言」、法制化への提案は、
結論(結果)から始まっている気がする。 筋道はあとからつけている。何におびえているのか? まるで不良少年(おっと、中年か、いや老年か)のような口調であり、 「もう俺の言う通りにしろ」の強引さが目に付く。 年寄りのゴニャゴニャも困るが、若年寄のイセイだけの掛け声も悲惨。 一日後に方針が変ったりグラついたり、逃げ道探しの「閣議」なのかねぇ。 このクニがいまだ「少年の国」ということなのか。 childlike ではなく childish ですよ。 二極分解、1%と99% 。
今年のメインエンジン 。 (バカともっとバカ?) 分解が必然だとして、なぜ1%と99%なのか? 1%とは「そも何者?」なぜ分極化したのか? この分解は、かなり肉体的におおきな負荷をかけるだろう。 果たして、ナデシコ日本(ニホンです)は保つだろうか。 痛みと麻痺。
東北の痛みと政治家の麻痺。 接骨屋さんの看板から始まる2012年。 痛みと麻痺の間には、ケイレン。何の意味もなく笑いザワメクTVファン。 日本人のどこに勁さがあるのです、キーンさん? 『絶望』が虚妄となるときまで、 痛みと麻痺の中間に宙吊りになってケイレンしているしかあるまい。 事実はまっすぐに知覚するべし。 当分は(ずっと先まで、私たちが消えて、あなたたちが老いるまでか、アハ) デスパレートな悲観主義だけが<持続>するだろう。 出でよ、接骨屋、君たち職人の出番だ。 地上をうごめいている人間の中に、
太陽を持ち込んだら<便利>になるだろうという発想があって 原子力が顕れたのではない。 出所はどうあれ、ほとんど神格化した<核>は、 地上的なコントロールにはなじまない。 イマ、ソコに宇宙の原理(核融合)があるのだ。 つまり宇宙的時間がとなりにポンとおかれている。 宇宙的時間とは、人間の尺度で言えば、 脱時間、つまり時間は流れていないのだ。 共存も何もない。 種が、世界が違うのだ。 さて、このパンドラの箱は閉じられるのか? 人間の<欲望>は、すでに宇宙的に拡張してしまっている? 宇宙大の大きさで考えれば、 人間は、人間の欲望もすでに<無>でさえもないだろう。 原子力の原理そのものが、人間の<時間(歴史)>を無化してしまったのだ。 <私たちの前にはただ砂の海が広がっている。> |
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