今年の夏は、昆虫が騒がないなぁ。
セミも鳴かない。 トンボも見ない。 ちょうちょをたまに見かけるとほっとする。 玉虫はもういなくなってしまったか。 秋の虫が鳴いている。 『少年の日の思い出』 H.ヘッセ。 少年の日々の虫取り、今にして思えば「幸福」な時間だった。 網の中にちょうやトンボが収まった瞬間もそうだが、 朝起きて出かけるトキから時間が<濃く>なるのだ。 今の少年たちはどんな<濃い>時間をもっているのだろう? スポーツ、ゲーム、勉強の<時間>の中に ムネをときめかせる瞬間、日常とは違う時間はあるのだろうか? 「世界のしくみ」に触っている時間のことだ。
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すわってジッと見る。
歩きながら見る。 モノの奥行きや広がりを見る。 君の座っている場所、歩いている時間。 太陽の光りがどちらの方角から差しているのか、 そのトキ君は泣いているのか、笑っているのか。 そうだ、泣きながら『俺はなぜ泣くんだろう』と<考える>のだ。 見るとは、見えているものを見ていることではない。 こちらの状況・状態の内から 見るべきものへ半歩、 ズイッと入っていくことなのだ。 そのズィッが考えるということなのだ。 見る目がある者は、<見よ>。 (見る目がないものはナニが見えていてもスィーッと通り過ぎてしまうだろう。) ところで何を見るんだ? ナデシコジャパンの選手たちの顔。
大きな仕事をしたというような顔には見えなかった。 非常にジミな顔に思えた。 スター選手などではないのだろう。(よくわかりません。) スポーツウーマンという言い方もなじまない。 NHKのニュース番組の中のトピック。 選手たちの全員ならんだ姿を映したあと、 カメラはアナウンサーの「きれいな顔」や生真面目なスタイルをとらえた。 きれいに見えた。 当たり前のことなのだろう。 一瞬後、ナデシコジャパンの女子選手たちの決して華やかではない顔が戻ってきた。 しかし彼女たちの顔は十分に<きれいな顔>に対する批評になっていた。 (もちろん女子アナの<きれいな顔>は彼女たちが受け持たねばならない責任ではない。) この国のキレイとはいったいなんなのか、という問いを 突きつけたナデシコジャパンの女子たち。 ナメクジ、ゴキブリ、カ、ダニ戦争つづく。
いったい彼らはどこにいるのだ。 まるでゲリラ戦? テロリスト? こっちは、あちこち刺されてかまれて かゆーい。 戦果は、ナメクジ一匹、一匹は逃げられる。 カはにっくき敵。 一匹はやっつけたが十箇所さされる。 夜中に出てくるヒキョウモノ。 ダニはまるで戦にならず完敗。 イマダスガタカタチを見ず。 痛みが知覚できるだけ、放射能よりはましか。 ピンボケ日本のリッパなテロリストに脱帽。 かれらに<ニホン>を委ねたらどうかしらね。 河合隼雄氏の「心理療法序説」(岩波現代文庫 1,100円+税)
心理療法モデル、教育モデル、成熟モデル、自然モデル。 氏のココロや論立てのヤワラカなつよさに感服。 ていねいに読まれることを望む。 <現在>への向き合い方がいい。 役立つとか、学べるとかの次元を超えた文章です。 なぜ「アンパンマン」なのか?
フランスパンやイギリスパンではダメ? ジャパンパンはないの? 周囲とソフトに付き合わねばならない日本村では、 角が立ってはいけないのだ。 だから、「アンパン」なのだろうか。 ほら<顔>なのだよ、ジャパンは。 いつでも顔をつぶしたり、顔を立てたりして よみがえるのだ。 たまには、宮澤賢治「注文の多い料理店」の二人の紳士のような しわくちゃになっていsまう<顔>もあるのだが、 昨今の紳士は、アンパン顔をしていてなかなかどうして 鉄面皮なのだがねぇ。 土俵はなぜあるのか?
それ以上の<暴力>は認めないという歯止めなのか。 同じ地平で平等に力(能力)を出し合おうという公平ルールなのか。 外から見え、不正がはびこらないように土俵の内を透明にするものなのか。 土俵の外とは何か。 弱肉強食が公然化している世界なのか。 相撲のハナシをしているのではない。 今いろいろな面に浮き上がってきているクライシス(危機)への向き合い方の話しである。 問題の在り処を本質的な所まで掘り下げて問う<土俵>のことである。 だが「土俵はいつ誰が作ったのか」、まず問いはこのように問われなければならない。 生タマゴは立つ! (コロンブスの味方)
グシャではない。ていねいにまっすぐに立てる。 重心を探れば・・・。 そうだ、君の『重心』を発見するのだ。 アメリカ大陸よりも、君の『重心』の方が広大だし、 たくさんの希少価値のレアメタルが埋蔵されているのだ。 『民主党モノガタリ』
役者がいっぱいいすぎて見ている側も大混乱ですねぇ。 役者が踊っている舞台の向こう側は、もう混乱のしようもないってのに。 いつまでノウ舞台で舞っているんだろう。 まだ観客がいるうちは踊るのかな。 観客って必ずしも期待して集まっているわけではないんだ。 『自民党モノガタリ』ってのもあった。 もう誰もページをめくる気力もなくなったのか ときおりの風に吹かれて、1,2ページがパタパタとはためいている。 男は寂寥と孤独の中で生きている。
川端康成。 しかし、氏の<顔>は、妖怪そのもののように変成し硬直していた。 ニヒリズムの末に行き場を失ったのか。 ただ死に場が準備されてあればよかったのかもしれない。 だが、この硬直の歴史は、相続しなければなるまい。 <すごい顔>とは、出口を失った顔なのだ。 川端康成だけの問題ではない。 出口なしの日本。 |
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