目の前に張ってあるメモ(類)の数を数えてみる。
39枚。ピクチュアーは、18枚、時計は2個、カレンダーは6つ。 これらが何かを前(先か)へ押し出してくれているのだろうか。 それともこの中に埋もれているのだろうか。 いつも首筋が痛いのはその為か?
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「孫氏兵法」DVD1~3集。
中国の大河ドラマ。日本のNHK大河ドラマの微細さはないが、 骨太なモノガタリで引っ張っていくおもしろさ。 しかし、「君主」の聡明さは名ばかりなのだという前提によって 「事件」が起こるというパターンはいつも同じらしい。 ひょっとして中国のムーヴィは、中国の首脳とその思考パターンへの・・・・ なのではないかと勘ぐりたくなる。 上位に立つものへの不満や憎悪を制作の動機にして ラストは新たなヒーローのモノガタリにするというのは常道なのだろう。 中国映画の私にとってのおもしろさは、巨大な虚構の中にある。 あの大群衆の走る様を見よ! 途中の会話中にT.S.エリオットの『詩』の部分がとうとつに入り込んでくる。
どうしてなのか、大きな理由も見当たらないが、なんなのだろう。 マーロー(主人公の探偵)のセリフがいい。 ちょっと文学臭があるところがおもしろい。 もちろん『ハードボイルド』なのだ。 ハードなところをボイルしているところがなんともいえないところ。 『さよならするってのは、小さな死をかかえるってことなんだ。』 例のコマーシャルにもなった超有名なセリフは自分で見つけたまえ! 一日ひとつずつ食器を割っている。
集中力が欠けている。 注意力が散漫。 車のうしろをこする。 少し感覚がブレている。 全体への配慮も希薄なのか。 モノとの付き合い方が雑なのであろう。 つまりはココロが散っているのだ。 器物の破片ともどもココロも壊れているのか? 逆も真。壊れたモノを修復すればココロも修復するのだ。 老木を生かしめよ、されば人皆、花咲じじい。 「・・・下人の行方はだれも知らない。」
芥川の『羅生門』と先日UPの『狐憑』の最後の文が同じなので 思わず筆をとる。 中島は、昭和17年没、33歳。 芥川の後を継ぐと期待されていたが若くして亡くなる。 しかし彼の格調高い文体はいまだに生きてうごめいている。 中3生には4月の読書時間に『名人伝』を読んでもらっている。
その作者の作品です。 モノガタリの展開は言うまでもなくおもしろいのですが、 ことばの使い方が昨今の凡百の作家とはまるで違う。 まずここに驚き。 「ホメロスと呼ばれた盲人(めくら)のマエオニデュスが、 あの美しい歌どもを唱い出すずっと以前に、こうして一人の詩人が食われてしまったことを、 誰も知らない。」 そうだ、殺されて食われてこそ詩人なのであり、詩人の栄光なのだ。 南方熊楠 『菌類図譜』を眺める。
きのこの画集。 うーんといつもうなってしまう。 熊楠の(敬称を略しているのではない。氏でもさんでも先生でもましてや君でもない。付けようがない位、超絶しているのだ。) アタマがどんな風にウゴイテいるのかが見える。 もうそれだけで圧倒されてしまう。 先週、紹介した「論語物語」(下村胡人・講談社学術文庫1,000円)は
読み始めたか? 孔子の伝記、エピソードの中にいっぱいオモシロイものがたりがつまっているよ。 学校から帰ってくる。
ボーっとしている。 そうだ、それでいい。 成長している証拠なのだ。 一日緊張していろんなモノに直面してきたのだ。 上手に問題をかわすことはない。 そんなことをしたら、臆病になってしまう。 問題にアタマもココロもどかどかたたかれるのだ。 ソノトキこそ成長への手がかりが見えてくるんだ。 「あーあ、おなかすいたなぁ」・・・冷蔵庫がいつの間にか親友になったり・・・。 昨夜も〈揺れた〉。
一冊の本も倒れなかった。 だが今までに一冊の本によって何度倒されたことか。 そういう風にして本と付き合ってきた。 本にはいろいろな種族がある。 どういう〈種〉と交わるかはほとんど偶然といっていい。 それら初発の偶然も長い付き合いの内に必然となってくる。 そのとき私たちはまた一本の木となって立っている。 森は昨夜も暗い闇の中でざわめいていたが、 一本の木も倒れるということはなかった。 |
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