再び、赤坂憲雄。
朝日新聞 「仕事力」というコラム。 日本というヒトツの稲作文化へ集約させた柳田民俗学への疑い。 東北はひとつではない。様々なスガタが伝承されている。 「東北学」の始まり。聞き書きで農村へ。 「おまえさんは、何が聞きたいんだ?」 ここから先は、井上ひさし「吉里吉里人」(新潮文庫)へ そして、宮沢賢治へ遡行されたし。 日本と東北の関係、 現在の原発問題まで連綿とつづく 大きなモノガタリに震撼させられること必定。
0 コメント
<世界>に触れながら、衝きあたるへ。
アメリカのイノシシは 「世界というイメージ」の中を走り回って空転し 行き場も逃げ場も失ってしまった。 その悲惨を言ってもしかたないが、 ウリ坊日本もついに立ち止まってしまった。 己の<位置>がどこにあるのかを見つけただろうか。 <世界>にドーンとぶつかるのではなく <世界>がドーンとぶつかってくるような<位置>に立つこと。 そこが、「世界の中心」なのだ。 眺めているばかりでは世界に触ることも衝突することもできないぞ。 『東北地方植民地説』
赤坂憲雄氏の朝日新聞の「オピニオン」記事。 彼の東北学の目線がすっきり見える。 <日本>というクニがどういうカタチをしているのかが この震災であからさまになった。 司馬史観のモノガタリ版 「この国のかたち」 と比べられたし。 中央と地方は、ピラミッド構造のてっぺんと底辺に対応している。 諸君、赤坂の 『東北学』 を学べ。 半年が経った。
3.11 から 9.11 へ。 落ち着くところに落ち着いて、なんらの抜本的解決も見出せない。 血は流れつづけ、腫れものの膿が出された形跡はない。 状況は閉塞したままである。 道化師じみた「役者」が舞台いっぱいに踊っただけなのか。 (いまだ新手の役者が・・・) キューバ革命の影の領域。
『ビフォー・ナイトダウン』 (『夜の終わる前に』?) 作家アレイナス氏の革命政権による弾圧ムーヴィー。 その国の<民度>について考えさせられる。 旧ソビエトも現グルジアも、中国も・・・と書けば すべての国々が、<権力>という化物にふり回されている。 権力をとるものたちのbefore & after の「表情」を見よ。
顔の「つっぱり方」を観察せよ。 一連の首相連のbefore & after の写真集があれば その国のスガタも一目瞭然ではないか。 ひるがえって、私たち「村民」の正体もだ。 中学生『国語プラス講座』の授業で丸谷才一の文章を読む。
井上ひさし氏の葬儀での丸谷氏の弔辞、 井上文学は「プロレタリア文学」なのだという意見。 なるほどと、彼の大きなつかみ方に感心する。 ちなみに、大江文学は「私小説」で、春樹文学は「芸術」なのだそうだ。 昭和文学の三分立は、つながっていた。 井上氏の最後の劇 『ムサシ』 と 『虐殺組曲』 は、圧倒的にいい。 機会があればぜひ見るべし。 (私は、TVで見てしまった。) 『カウントダウンゼロ』 、
ゴア君の『不都合な真実』の二匹目のドジョウか。 原爆ミサイル廃絶のテーマ。 各国のトップの取り組み、パキスタン、イラン、イラク、北朝鮮の戦略核に比して イスラエルのそれはほとんどあらわれないのはなぜ? 国のトップ、ケネディ、レーガン、ゴルバチョフ等のフィルムの合間に 反核デモ、街頭インタビューが割り込ませてあったが、 編集の<意図>が不明確。 恐怖と脅威によるオモシロムーヴィみたいな感じである。 人々の<実感>が欠けているのだ。 つまりニュース映画である。 つまりカウントゼロ。 90分は只長、80分でスッキリさせたらいい。 台風と高気圧。
ムシムシ暑い。 秋の虫も涼しげに鳴きだしているのに、 梅雨のジメジメが戻ってきたか。 政治もケイザイもムシムシ、ジメジメで窒息状態。 ところで原子力問題がトークダウンしてしまった。 全く解決も方向も見出せないのに一政治家さんを巡ってのドタバタで、 マスコミもいっしょに下手なダンスに興じているよう。 どうする?東電福島の原発? 一気にバーンではないだろうが、 擬音語、擬声語のカタカナ世界から逃げ出したいね。 (マスマスゴミゴミの世界?) 『ワァッ、おいしい。』
『ワァッ、きれい。』 ・・・・・この<ワァッ>って何なのだろう。 セミついでに言えば、「ミーンミンミン」とか「ジージー」だろうか。 どういうレベルでおいしいのか、 どのようにきれいなのか、 感覚系だから小さく叫んでいればいい? 「バカの・・・・・・覚え」みたいですねぇ。 あんまりかわいくないですねぇ。 本当に心から受感したらもうコトバなんか出ないですよ。 コトバを押しとどめるようになにかが迫ってくるんじゃなかったのかねぇ。 そうか、この<ワァッ・・・>は、あいさつだったのですね。 『ワァッ、わかっちゃった。』 |
小・中・高校生 学習塾
|