『まねる』が『学ぶ』にならないとどうなるか。
NHKの朝の連ドラを例にしてみよう。 現実に似せて、セットもセリフもストーリーも『真似られる』。 しかし役者の力量は別にしても、いかにも『真似』ているのだ。 真似るのは、いい。 その先なのだ。 『表現』に到らなければ、 どうしてもセットもセリフもストーリーも浮いてしまうだろう。 現実に似せて<リアル>を失っている。 リアルはそこで<学ぶ>こと、 つまりセットもセリフもストーリーも『新たな発見』へつながるものなのだ。 リアルとは真実らしさではない。 表現における<発見>である。 年季の入った役者たちの仕草や声が支えているようなドラマは 『紙芝居』のリアルもないだろう。 『黄金バット』のあの『ワクワク感』はどこに消えた?
1 コメント
なかちゃん
8/11/2011 12:01:28 am
国語の実況中継読みました(^0^)/
返信
メッセージを残してください。 |
小・中・高校生 学習塾
|