選挙カーが走る。
喚く、叫ぶ。いまどき往来でがなっているのは、首長(くび長)族ばかりである。 他のものより首ひとつ長く伸ばしてオメく。 右翼のお兄さんたちももうとうに引いてしまっているのに、 この種族はどんな理想、利権にとりつかれたのか。 市民、国民、県民のために献身する?どこに国民、県民、市民がいるというのか。 村人がいるばかりの日本に<市民>とは何なのだ。 為にする献身?ほとんど誰も未来の時間を失っているなかで、 希望を語るのはタレントまがいの道化である。 TV画面に引き出されてくる識者や タレントと化したアナウンサーの顔や<真剣>そうな口調。 いつも同じ健康な画面はフィクションだろうに。 虚構の国民、市民の健康、正常願望って歪んでないか? そうか、TVに捕まってしまった国民市民に首を伸ばしていたのか。 話がずれてしまった。 選挙カーのうぐいす嬢の『芸のなさ』を書くつもりだった。 パーチクパーチクと同じことばを連呼するのは、『ひばり』ではなかったか。 あの甲高いマイクからヒバリ嬢の声も後半はカラスになっているのは愛嬌か。 せめて70歳以上のおじさんあたりに、ゆっくりと話をさせたら TV市民の耳に届くだろうに。 (おばあさんはがんばってしまうから避けたほうがいい。) もっとも首長君たちもTVピープルも選挙が終われば、 ほっと安心、静かになってお互いの顔は誰ひとり記憶はしていないようだが。 TV市民は、平和や救済のかけ声では踊らない。 パフォーマンス、TVタレントや役者の顔で動くのだ。 『おもしろい』、『あ、知ってる、見た見た』の中に、求められているのは<芸>である。 『劇』をやったり、見たりする才能はもう向こうにもこっちにもないことは、 お互いに承知の上。 芸でいい芸で。
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