泣きはらした眼をして、小学生の女の子がくる。
リレーでラストになったくやし涙。 クラス全員でイスをけったり・・・して泣いた。 ひたむきさ、すなおさ。 大人には心の中をストレートに表にだすことはなかなか許されない。 TVタレントやスポーツマン(?)がファンや画面の中で「泣いて」いるのは・・・だ。 (伏字は補って読む。) 頭に血が集まって興奮している。 冷静な判断力が欠けるのはいたしかたない。 しかしこれは危ない。 一人ならこれほどの興奮をかき立てられることはあるまい。 多分一種の「集団ヒステリー症状」なのだろう。 なぜ小学生がこのような『モノガタリ』につかまってしまうのか? 『真剣』な心のあり方はいい。 だが『真剣であることはいいことだ』というモノガタリは危険だ。 モノガタリが増殖させる<正しさ>は、記号にすぎない。 正しさは個々の心の中で拝されているべきものだ。 集団の中で共有される<正しさ>は記憶の中でさらに増殖し、いつか破裂する。 小学生の女の子のいじらしい涙から 『パレスチナ』戦争の悲惨を引き出すのはいき過ぎか。 『くやしい』という感情は『事実』なのか。 『ルサンチマン』による『眼には眼を』『歯には歯を』が 世界になにをもたらしつづけているのか。 政治的にこの感情をあおった米の前プレジデントも、 上手く米市民にとりいった現大統領も現存する。 集団的であること、正しさという<記号>、 すでに幼いココロに植え込まれているモノガタリ、これこそ恐怖。
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