映画とTVの強度の差が歴然としている。
昔からそうなのだといわれれば確かにそうなのだろうが、ここに来てかなりアカラサマになったのではないか。 注意、映画は邦画を指していない。 日本映画は一部を除いてTVの延長のように見える。 内容が空疎というのではない。 <カメラ>が道具的に走り回っているという点が同種なのだ。なぜなのかはイマは定かではないが、空気が抜けている感じなのだ。TVも映画も単なるミステリーでなくミストリーに近い。いかにも嘘くさいシーンにその本質的な状況が見えている。リアルを真似ることにさえ力が入りすぎて、役者の<顔>をそろえただけの画面になっているのではないか。 演ずること、表現することが消えている。 不要な音楽や過大なそして奇矯なシーン、身振りが横行している。 話が流れた。 日本の<表現>シーンのなんとも情けない状況に比して、外国のムーヴィの力の入った映像には<強度>、<世界>に向き合う強い意欲がある。 外国の映画の進歩や進化は、今ある現実の画線の上を滑ってきたものではない。 <世界>を日常や非日常のなかに発見してきたものである。 そうとうに大きな打撃をボディに受けている。このボディブロウに耐えるようにして見いだされたモノが表現の技術を要請しているのだろう。 イマ 「ムーヴィ」 はおもしろい。
1 コメント
konatsu
6/25/2012 12:45:56 am
ムーヴィの扱いは作家の意図チームの意図それぞれですが、(もはやTV・映画の二択にならないのが現代のムーヴィ。)
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